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1988年10月19日 近鉄vsロッテ 

久々に野球の記事

上の題名を見たら、たいていの人は、この時何をしていたかを憶えている人が多いのではないでしょうか。今日は、上の題名の日に川崎球場で行われた

近鉄バッファローズvsロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ

について書いてみます。

この頃は西武ライオンズの黄金時代、このシーズンも例外なく勝ち進み、1988年10月19日が終わった時点では、全日程130試合を終えて首位をキープしていた。かたや近鉄バッファローズは、この日行われたvsロッテオリオンズ戦直前では、西武に0.5ゲーム差で2位。この時点での戦績は

西武 130試合 73勝 51敗 6分 勝率.589 ゲーム差―
近鉄 128試合 73勝 52敗 3分 勝率.584 ゲーム差0.5


この日行われる試合はダブルヘッダー。近鉄は残り2試合をすべて勝たなければ優勝出来ず、1つでも負けたり引き分けたりすると、その時点で西武の優勝が決まる。この頃のパ・リーグの引き分けルールは、9回終了時点で同点の場合、最大12回までの延長戦を行う事になっていましたが、試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了を以って打ち切りという規定もなされていました。この事が、この日行われた試合を大きく左右する事になって行きます

この頃の私は、富山の実家にいました。10月に入っていたという事、当時のパ・リーグは、人気もそこそこというのもあってか、この試合の放送は、大阪の朝日放送の中継のみ、当時の北陸は、朝日系の放送局が無いので悔しい思いをしていました。ですので、ラジオのダイヤルを合わせて試合中継の音を食入る様に聞いていました。ラジオですので、球場の様子はわかりませんでしたが、試合後のプロ野球ニュース(1976年4月~現在フジテレビからフジテレビ739に移って放送中)を見ると、いつもはガラガラの川崎球場は満員で、入れなかった人は周りのビルやマンションなどの屋上から観戦するほどの熱狂ぶりでした。私も熱狂して一喜一憂しながらラジオを聞いていた為、細かい事は憶えていないですねえ^^
第1試合は、劣勢な状況を終盤ひっくり返し近鉄が勝利。優勝戦線の行方は第2試合に持ち越された。第2試合、18時44分にプレイボール。ロッテは、この年のリーグ最下位が決まっており、優勝には直接関係無かったものの、自分のホーム球場で優勝を決められる屈辱だけは避けたい。近鉄も、この試合にチーム一丸となって全部の力を注ぎ込む。お互いの意地が、ぶつかり合ったというのもあってか、試合は一進一退、8回裏を終了した時点で、スコアは4-4。回は9回表に入る。
この9回表の時間帯のちょっと前に、関東のテレビ朝日は、プロ野球、いや、プロスポーツ界の歴史上に残るであろうと判断したのか、21時からレギュラー番組を差し替えて、この試合の中継を行った(この21時の時点で朝日系のテレビ局がある地方は視聴可能となる)。22時からのニュースステーション(1985年10月7日~2004年3月26日)も普段のニュースを飛ばし、続けて中継。22時時点で9回表の近鉄の攻撃は終了し、裏のロッテの攻撃に移る。ちなみに、この日に放送されたニュースステーションの冒頭の部分の動画が、下のリンク先から見る事が出来ますよ

1988年10月19日のニュースステーションの冒頭部分

近鉄としては、引き分けルールのせいで不利な立場上、この回を早く切り抜けて延長の10回表持っていきたかったであろう。この回に投げていたのは、8回からマウンドに上がっていたエース阿波野選手。しかしながら阿波野選手は、2日前に完投したばかりで、この日の第1試合の9回にもリリーフで投げていたのもあってか疲労はピークに達しており、たちまちノーアウト1・2塁の大ピンチに陥ってしまう。ここで点を入れられたら、その時点で終わり、阿波野選手も踏ん張る。そして、この試合のクライマックスが・・・
阿波野選手が2塁に牽制球を投げたが、少し高く浮いてしまう。それを大石選手が飛び上がってキャッチ、2塁ランナーにタッチしに行くが、飛び上がった反動で2累ランナー押したを形となる。微妙だったものの塁審の判定はアウト!!
球場は歓声に沸いた。が、しかし、ロッテの有藤監督やコーチらが走塁妨害だと主張し塁審に猛抗議。近鉄の劇的逆転優勝を見に来ていた観客は大ブーイング。そんな罵声が飛ぶ中でも有藤監督は粘着して抗議し続ける。結局、判定は覆らずにアウトのままとなり、有藤監督はベンチに引き下がるが、この抗議の間に費やした時間は9分。この9分間が、近鉄にとって結果的に致命傷となってしまう事となった。その後、ロッテは激しく攻勢するも、淡口選手のファインプレイもあって何とかこの回を凌いだ。次の近鉄の攻撃、延長10回表、この時点で引き分けルール規定の4時間まで、あと15分となっていた。事実上これが最後の攻撃、この回で決めなければ、優勝の確率は0に近くなってしまう。近鉄は奇跡を信じて、バットを振るものの、無情にも3アウト、無得点・・・
この時点で、規定の4時間の3分前、これで西武ライオンズのリーグ優勝が決まった。10回裏に守備につく近鉄のナインは、抜け殻状態だった。いや、選手だけでなく、近鉄の仰木監督・コーチ・関係者、そして、球場に見に来ていた観客、球場に入れなくて周りにいた人・ビルやマンションの屋上などから見ていた人、テレビ・ラジオを見たり聞いたりした人が、泣く力も無く、ただ、ただ、呆然としたのではなかろうか・・・

こうして「伝説の10.19」は幕を閉じた。

次のシーズン、この悔しさをバネにしたのか、近鉄は序盤こそつまづいたものの、夏に挽回して首位戦線をキープ、10月12日のvs西武戦のダブルヘッダーで、ブライアント選手が試合をまたいでの4打席連続ホームランが決め手となって、この日のダブルヘッダーを2連勝で飾り、そのまま勢いに乗り、9年振りのリーグ優勝を手にし昨年のリベンジを果たした。翌週の17日のニッポン放送とんねるずのオールナイトニッポン(1985年10月15日~1992年10月13日)で石橋貴明さんが、やたら興奮して

ブライアントッ!!!

と連発して言ってたのを思い出します

最後に、この「伝説の10.19」を特集した番組の動画を置いときます。一番下の参考資料を見ながら、動画を視聴すると、より楽しめると思います

UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 1of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 2of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 3of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 4of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 5of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 6of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 7of8


UP1988.10.19 KINTETSU Buffaloes VS LOTTE 8of8


UP近鉄vsロッテ終了後かな?


詳しい参考資料です

Wikipedia~10.19

※押忍!番長 完全勝利への道※さんのHP~昭和63年10月19日 日本中が感動した日

goo スポーツ:NumberWeb~[1988年10月19日 近鉄vs.ロッテ] 阿波野秀幸「ホームランの後の記憶がないんです」

10.19川崎球場決戦

Naka-Boo’s Home PageさんのHP~君よ知るや13年前の「10.19」

是非訪れて見てください

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